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June, 2008 No.004

“アジアの誇り”パク・チソン、胸に秘めたさらなる飛躍

4月2日、チャンピオンズリーグ準々決勝ローマ対マンチェスター・ユナイテッド戦。パク・チソン(左)のアシストでFWルーニーがゴールを決めた
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 UEFAチャンピオンズリーグ決勝のピッチに、彼の姿はなかった。韓国で生まれ育ち、日本のJリーグでプロとしてのキャリアをスタートさせ、オランダで揉まれてイングランドの名門マンチェスター・ユナイテッドの一員となったパク・チソン(朴智星)。今や“アジアの誇り”とも称される彼だが、PK戦の末にチェルシーを下して9年ぶりの欧州王者に輝いたマンチェスター・ユナイテッドのエントリーメンバーリストに名前はなく、その事実に韓国のサッカーファンたちは落胆せずにいられなかった。

 何しろUEFAチャンピオンズリーグ決勝の舞台にアジアの選手が立った前例はなく、もしも出場していれば韓国はもちろん、東アジアにとっても初の快挙になるはずだった。

ましてASローマとの準々決勝、バルセロナとの準決勝と、4試合連続でチャンピオンズリーグにフル出場。大事な試合で必ず起用されてきたその流れからして、当然決勝も出場するはずだと見込まれていただけに、韓国のファンたちの落胆は大きく、現地イングランドのメディアも「パク・チソンの決勝欠場にアジアは背信感を持ったはずだ」と報じたほどだった。
 しかし、パク・チソン本人の口から不平不満がこぼれることはなかった。常日頃から個人の欲求よりもチームの勝利を最優先したいと語ってきた彼は、「チームがリーグ連覇とチャンピオンズリーグ制覇という2冠を達成したことに満足している」と喜び、「個人的にも、今季は長期のケガから復帰できた。そこに大きな意味があった」と、シーズンを振り返った。

 実際、今季(2007-2008シーズン)はパク・チソンにとって、その真価が問われたシーズンでもあった。
 オランダ・PSVアイントホーフェンでの活躍を認められてマンチェスター・ユナイテッドに移籍したのが2005年7月。プレミア1年目の2005-2006年シーズンは公式戦34出場1得点6アシストを記録したが、2年目の2006-2007年シーズン序盤は左足首靭帯を痛めて99日間戦線を離脱し、3月には右膝を傷めて4月に緊急手術を敢行。パク・チソンはチームが4シーズンぶりに奪還したプレミア王者の喜びを松葉杖姿で見守らねばならず、その後も長いリハビリ生活を余儀なくされた。
 ようやくピッチに戻れたのは2007年12月26日のサンダーランド戦。しかし9ヵ月のブランクは大きく、ライアン・ギグス(ウェールズ代表)や新加入ナニ(ポルトガル代表)とのポジション争いもあって、復帰直後は途中交代やベンチを温めるどころか、エントリーメンバーにも入れずに観客席から試合を見守ることも少なくなかった。それゆえに一部では「パク・チソン不要論」が囁かれ、韓国ファンたちの間でも「出場機会を求めてマンチェスターを離れるべき」との意見も飛び出したほどだったのである。
 けれど、不言実行を信条とする若者は黙々と汗を流し続け、忍耐強くチャンスを待ち続けた。「今の僕にとって先発か途中出場かといった試合出場時間はあまり重要じゃない。相手によってチームの戦術は変わるわけで、戦術的な理由でほかの選手が起用されることもある。マンチェスター・Uには素晴らしい選手が多いが、しっかりと準備していれば機会は訪れるはずだ」


 そして、3月1日のフルハム戦でフル出場、復帰初ゴールをあげると、4月からのチャンピオンズリーグでは準々決勝・対ASローマ(イタリア)戦、準決勝・対バルセロナ(スペイン)戦と、4試合連続でフルタイム出場。プレミアリーグでも5月11日の最終節のウィガン戦で先発出場し、チーム2季ぶりのプレミア王座奪還に貢献した。
 その貢献度は数字にもしっかりと表れている。11勝0敗1分け。2008年になってパク・チソンが出場した試合でマンチェスター・Uが負けることは一度もなく、バルセロナとのチャンピオンズリーグ準決勝・第2戦では、その疲れを知らない豊富な運動量がデータとなって明らかになった。同試合に出場した両チームの選手の走行距離を測定したUEFAの公式発表によると、パク・チソンが90分間で走った総走行距離は11・962キロ。

4月29日、チャンピオンズリーグ準決勝バルセロナ戦。アルゼンチン代表DFミリート(右)を抜きにかかるパク・チソン
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それはマンチェスター・Uの選手たちの平均走破距離(11・022キロ)よりも長く、対戦相手のバルセロナの選手たちも凌ぐ数値だった。
 それもただ運動量が多いわけではない。ピッチ全体をエネルッギュに動き回りながら、彼は攻守の両方に絡む。スペースを探して出して飛び込む動きは鋭く、オフ・ザ・ボール時には自らおとりになって味方のためにスペースを捻出。ケタはずれにスピードが速かったり、華麗なテクニックを武器にしたりするわけではないが、豊富な運動量とそれをべースにした“質の高い動き”でパク・チソンは何度もチャンスを作り、いくつものピンチの芽を摘み取ったのである。
 そんな彼の献身的な働きぶりを現地メディアも賞賛。「常識を逸脱する体力」(『マンチェスター・イブニング・ニュース』)、「もはやパク・チソンは荷を引く馬ではなく、気品ある血統の名馬になった」(『デイリー・メール』)、「ボールを扱う技術がもっとも優れているわけではないが、ピッチの隅々までカバーしてサポーターたちから賞賛を集めた」(『ザ・サン』)と評価した。パク・チソンは労を惜しまない運動量と質の高い動きで、自身の存在価値を再認識させたのである。チャンピオンズリーグやプレミア優勝がかかった大事な試合で起用されたのも、チームが彼に寄せる信頼の証だったと言っても過言ではないだろう。
 それだけにUEFAチャンピオンズリーグ決勝に舞台に立てなかったことが惜しい。「オーウェン・ハーグリーブスのコンディションが良かったのでパク・チソンを外すしかなかった」(アレックス・ファーガソン監督)というのがその理由だとされているが、ベンチ入りもできかなったその処遇を韓国メディアは「無情」「無慈悲」と報じた。一方、長いシーズンを戦い終えて母国に戻ったパク・チソンはチャンピオンズリーグ決勝に立てなかった悔しさを内に秘め、さらなる飛躍を誓っている。
 「選手としては決勝の舞台に立てなかったことは残念だが、監督としてもとても難しい決断だったはずだ。多くの人々の期待に応えられず申し訳なく思っている。けれど、またいつか機会は来ると思うし、チャンスはかならず来ると信じている。そのときにピッチに立てるように、これからも努力を続けて最善を尽くしていきたい」
 常に謙虚で控えめな彼らしい模範解答だったが、その言葉の端々から感じたのはさらなる高みを目指す挑戦者の気概だ。マンチェスター・Uという常勝軍団に身を置いている以上、パク・チソンには来季も熾烈なレギュラー争いが待ち受けているが、彼はキッパリと言い切った。
 「ほかの選手のことは気にしない。ピッチに立てば自分の持てる力を出し尽くし、信頼を得ることが重要だ。その信頼を得るために、僕はこれからも努力を続ける。まだまだ世界最高の選手と呼ばれるには程遠いかもしれないけれど、いつかそうなれることを信じてこれからも努力を続けたい」
 今や母国・韓国だけではなく、アジア全土のサッカーファンたちからも注目を集める存在になりつつあるパク・チソン。 “アジアの誇り”から“ワールドスター”への仲間入りを果たすその日まで、その“終わりなき挑戦”はこれからも続いていく。

 <プロフィール>
MFパク・チソン(PARK Ji Sung)は1981年2月25日生まれ、韓国出身。大学卒業後、母国のKリーグではなく日本(Jリーグ)の京都パープルサンガ(現京都サンガFC)に加入し、2000年にプロデビュー。すぐに頭角を現し、2002年にオランダの名門PSVに移籍。2005年にはイングランドの名門マンチェスター・ユナイテッドに移籍し、現在に至る。韓国代表でも中心選手として、2002年FIFAワールドカップ日韓大会、2006年FIFAワールドカップドイツにも出場。175センチ、72キロ。

文=慎武宏(SHIN Mu Koeng)/Pitch commnications


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