7月下旬に開幕する第30回オリンピック競技大会(2012/ロンドン)に、東アジアサッカー連盟から韓国と日本が出場する。ともに通算9回目の出場で、韓国は7大会連続、日本は5大会連続の〈世界との遭遇〉だ。
アジアサッカー界のレジェンドが率いるU-23韓国代表
アジアサッカー界のレジェンドであるホン・ミョンボ監督が率いるU-23韓国代表は、国内外でプレーする精鋭の集まりだ。Kリーグのクラブに所属する選手は6人で、その次に多いのは日本のJリーグでプレーする選手だ。5人を数える。そのなかには、J2の湘南ベルマーレに在籍するハン・グギョンも名を連ねる。ボール奪取能力に優れたボランチの彼は、今季のJ2でも存在感を発揮している。
メンバー発表時に大宮アルディージャの所属だったキム・ヨングォンは、7月2日に広州恒大(中国)への移籍が発表された。左足のロングフィードに秀でるこのセンターバックは、代表チームでもすでにレギュラーポジションをつかんでいる。
ヨーロッパのクラブからも、5人の選手が招集された。オーバーエイジ枠のパク・チュヨンは、韓国代表でも実績豊かなストライカーである。キ・ソンヨン(セルティック)も代表のレギュラークラスだが、彼は23歳以下のプレーヤーとしての選出だ。
AFCアジアカップ2011で得点王に輝いたク・ジャチョル(アウグスブルク)も、89年生まれの23歳である。ホン・ミュンボ監督は、彼を主将に指名した。残るひとりは、カタール・スターズリーグのレクウィヤでプレーするナム・テヒだ。もっとも彼は、韓国サッカー協会の育成プログラムにより、10代でイングランドへ渡った選手である。その後はリーグ・アン(フランス)のヴァランシエンヌと契約し、09年5月から昨年12月までプレーした。欧州組のひとりに加えても、差し支えはない。
チームは7月2日に招集され、同日から国内でトレーニングを開始している。14日にはオセアニア地区代表として出場するニュージーランドと、ソウルで強化試合を行なう予定だ。
U-23日本代表は経験豊富な2人のオーバーエイジ枠を追加
U-23韓国代表が始動したその日、日本では関塚隆監督がU-23日本代表のリストを発表していた。チームのベースはアジア最終予選を戦ったメンバーだが、指揮官は2人のオーバーエイジを最終ラインに加えた。徳永悠平と吉田麻也である。
2004年のアテネオリンピックに出場した徳永は、守備のスペシャリストだ。センターバック、左右のサイドバック、ボランチをこなすことができる。オリンピックの登録人数は、FIFAワールドカップより5人少ない18人だ。それだけに、彼のようなタイプは必要不可欠である。
吉田は前回の北京オリンピックに出場している。アルベルト・ザッケローニ監督率いる日本代表でも、不動のセンターバックとして最終ラインを支えている。「年齢的にも23歳以下の選手と近く、守備のリーダーとなってほしい」と関塚監督も期待を込める。VVVフェンロ(オランダ)からの移籍を模索する彼には、個人的なアピールの機会にもなるだろう。
AFC U-19での敗退の悔しさを胸にロンドンを目指した日本
サポーターやメディアの注目は、どうしても海外組に集まりがちである。ただ、国内組にも強い決意を抱く選手がいる。GK権田修一とFW永井謙佑だ。
2008年11月8日、権田と永井はU-19日本代表の一員としてサウジアラビアにいた。翌年にエジプトで開催されるFIFA U-20ワールドカップの出場権を賭けて、『AFC U-19選手権サウジアラビア2008』を戦っていたのだ。世界への切符は上位4か国に与えられる。
準々決勝の相手は韓国だった。21分に先制点を奪われた日本は、1点差のまま終盤まで食い下がる。しかし、84分と90+2分に失点を喫し、0対3で敗れてしまう。1995年大会から続けてきた日本のU-20ワールドカップ出場は、7大会で途切れてしまったのだった。
この時味わった悔しさを、権田は、永井は、決して忘れていない。ロンドンを目指すエネルギーとなっていったのだ。
切磋琢磨することで、ともに成長を続けてきた両国
いつの時代も、どのカテゴリーでも、日本と韓国は死闘を演じてきた。勝利の喜びも、負けた悔しさも、等しく成長の糧にしてきた。
互いに切磋琢磨することで、両国はレベルアップをはかっている。
オリンピックの男子サッカーでアジア勢がメダルを獲得したのは、1968年大会で日本が獲得した銅メダルが唯一となっている。東アジアから新たな地平を切り開くために、日韓はロンドンオリンピックのピッチに立つ。